雪花伽

たぬきと添い寝したい。

まやかしの月 あとがき

 あとがき、って一体何なんでしょうね。

 よく考えると映画や漫画なんかはあとがきがないわけで、作品が全て。

 「そこに全てを書いてきた。探せ!」みたいな感じで、それがある文学は特異ですよね。

 ちなみにあとがきを読むのは好きです。先に読む派です。

 

 

 本編で使いたかったのですが、使えなかったネタをここで一つ。

 

『元々宗教と芸術は対になる概念だった。教会が宗教的神殿だとすれば、美術館は文化的神殿だ。けれど、宗教的な神殿が影響力を失いつつある現代、文化的神殿が相対的に比重を増している。実質、心の平穏を求めて美術館を訪れる人は少なくないでしょ』

 

 ――雫綺の台詞ですが、宗教と芸術との対比は描きたかったテーマの一つです。

 現実でもテムズ川沿いの古い発電所をリノベーションしたテート・モダンというイギリスの有名な近現代美術館があるのですが、

 その川を挟んだ対岸にはセント・ポール教会という神殿があるのです。

 

『一方で、芸術と宗教とは、対立する概念であると同時に、とても類似する概念でもある』

 

 ――これは私事になりますが、私の誕生日は少々特殊な日付でありまして、キャラクターと誕生日がよく被ります。

 で、誕生日には友人らが私を差し置いて彼らを祝うので、複雑な思いをしております。

 でも決して少なくない数の人々が架空の人間の誕生日を祝う。これってよく考えたらすごく面白い現象ではないでしょうか。

 

 

 『まやかしの月』の原型となった話は、ある一枚のイメージから始まりました。

 ロキと律人(と思われる少年少女)が閉鎖病棟の屋上から外を見下ろしている画です。

 よく考えればそこは私の通っていた中学校の非常階段。コンクリート造の三階の美術室でした。

 夢で見たのかもしれませんが、その光景は鮮烈に焼きつき、現実に溢れ出しました。

 

 この小説は一種の夢日記なのかもしれません。

 作中にも夢日記の下りが出てきますが、夢の内容を書き留めると気が狂うと言われています。この物話が夢から始まったというのは奇妙です。

 ともあれ、「登場人物がみんなおかしい」というコンセプトで書いたこの物語は始まりました。

 私はこうして小説を書き、彼らとはかれこれ十年間以上付き合い続けています。

 

 中学時代からの友人、村崎さまにスペシャルサンクスを。

 あのシーンはロキのあの絵のために書いたといっても過言ではありません。

 

 また、今これを読んでいる読者の皆さま、私の小説を手に取ってくださりありがとうございました。

 

セツカ