雪花伽

たぬきと添い寝したい。

まやかしの月 下4-4

8-4.Room of Parents:良心の部屋

  僕は小さい頃、眠るのが怖かった。

 眠りに落ちる瞬間が。意識を手放すのが怖かった。少しでも意識が遠のくと、このまま目を覚まさないんじゃないかと思って、努めて意識を取り戻そうとするのだ。

「早く寝なさいよ」

 麻耶は羨ましいことに、いつでもどこでもすぐに寝る子供だった。

 夜。

 トイレに行きたくなって目を覚ました。今は室内よりも外のほうが明るい。家族は寝静まっていて、開いたカーテンの窓から月の光が優しく投げかける、凍りつくような夜のあおの中で、誰かの寝息が聞こえていた。

 暗い廊下の向こうに明かりがついている。

 灯りに誘われる蛾のように、寝ぼけた僕はぼんやりとした光に向かって歩いていた。そこは作品収蔵庫として使われている部屋の一室だった。

 中を覗き込む。

 日生がいた。自分の描いたキャンバスに近付いて見ているのかと思っていたら、画面に向かって口付けせんばかりに顔を寄せている。湖の暗い水面を覗き込むナルキッソスのように。

 その唇が油絵具の表面に触れそうになったとき、僕は声を発した。

「……お父さん、何してるの?」

 彼はたった今、僕に気が付いたという様子ではっと振り返ると、

「早く寝ろ」

 感情を込めず、ぶっきらぼうに言って僕の横を通り過ぎ、何事もなかったかのように寝室へ帰っていく。その様子がかえって隠し事でもしているかのように見えた。

 彼が去ったあとには、巨大な一枚のキャンバスが残されていた。それはあの母と寸分違わない、しかし絵の中の母だった。

 

 日生央真。

 彼の作風の特徴は、冷酷なまでに徹底したリアリズムにある。

 代表作としては、映像作家と組んで制作したインスタレーション――『良心の部屋 Room of Conscience』。

 これはある部屋に〝被験者〟の男女四人組が閉じ込められる。テーブルの上の果物を食べようとしたり、壁の本棚の本を読もうとしたりするのだが、できない。部屋の中の家具は、全て本物のように見えるが実は壁に描かれたただの絵で、実際は何もない部屋に放り込まれていたのだ。そして目に見えるものを信じられなくなった彼らが、徐々に精神に異常をきたしていく様子を淡々と記録したもので、観ている観客をも、現実と虚構の境界が曖昧な世界に誘う。

 現代芸術とはいえ、倫理的に賛否両論ありそうなこの作品だが、この映像に登場する四人は実はプロの役者で、台詞も即興なのだそうだ。しかしながら実物にしか見えない絵画として、舞台美術に採用されている日生の実力を推して知るべしだ。

 彼は過去のインタビューでこのようなことを言っている。

 ――俺の絵を直すときは、まず骨を描いて、内臓を描いて、血管を描いて、筋肉を描いてください。皮膚はその後だ。

 何故そんなことをするのかって? 内臓がないとすぐに死んじゃうだろ。

 この後、冗談だと弁解したらしいが、実際にそのように制作しているかも分からない。

 かのレオナルド・ダ・ヴィンチは、『モナリザ』を描くときにまず骨格を描き、肉を描き、皮膚で包んだという。すると皮膚の下に青白い血管や筋が透けて見え、腹部には暖かく柔らかい内臓がちゃんと詰まっているように見える。生きて生命活動しているように見えるのだ。

 それこそが、生きた絵と呼ばれる日生央真の絵の秘密。

 曰く、日生央真の絵には魂が込められている。

 日生の描く絵は生きているのだと。……というと荒唐無稽な話のように思われるが、例えば彼の卒業制作が展示されている母校の蒼浪美術大学記念館で、絵に描かれた女性が鑑賞者に話しかけてくるという事例が多数報告されている。

 それは彼の最初期作群である、僕たちの母親をモデルとして描かれたシリーズで、彼の傑作の一つと言っても過言ではないだろう。彼女の肖像を、これ以上ない愛情と執着を込めて描いている。

 そんな彼の最新作――『永遠の子供たち Unknown Children』。彼が最近手がけているプロジェクトで、子供のいない夫婦の、夫と死別した未亡人の子供を描いている。

 二人の間に生まれてくるはずだったが、二度とそれが実現することのない架空の子供を、生前の夫の徹底的な取材によってこの世に顕現させる。

 実在した名もなき夫婦ではなく、美術館に収蔵され、永遠の命を授けられた架空の子供の肖像が後世に伝えられるとは、皮肉な話だ。

 よく彼を単なる写実画家と誤解している人も多いが、彼の芸術の本質はあくまでも不在の表象だ。

 シュールレアリスムというジャンルがある。十九世紀の美術動向だが、あれは虚構を描きながらも作風としてはリアルな描写だった。虚構にはリアリティがなければその世界に入り込めない。観客が興ざめしてしまう。徹底した虚構を描くためには、逆説のようだが、徹底した写実が必要なのだ。

 その描写が真に迫るあまり、観客にはあたかもそれが実在し、彼の前でポーズを取ったかのように感じられる。

 だがそれでも所詮絵画にすぎないということで、観客はそれの不在を思ってため息をつくのだ。

 美術雑誌で日生の記事を見つけた麻耶が声を上げる。

「また勝手なこと言ってる」

「勝手なことを言わせておけよ。あいつら人の作品を借りて語りたいだけなんだから」

 だがどんなに神格化されようとも、彼はむしろそれを鬱陶しがっていた。

 

 真昼間のことだった。

 最初に仕掛けたのは母のほうだった。

 絵の具でべたべたになった手を、絵を描く日生の頬に後ろからなすりつけた。

 彼は振り返ると、やったな、という感じで、持っていた筆を彼女の顔に走らせる。集中しているところを邪魔されて怒ったのかと思っていたが、そうではなかった。彼は笑っていたからだ。

 冷たい絵の具のついた筆が頬に触れ、彼女はくすぐったそうに歓声を上げる。ぬめぬめとするが不快ではないようだ。

 お返しに、ぬめりを帯びた手で彼の額やうなじを撫で回す。羽毛で撫でるように絵の具を塗りたくる。背中をどろどろと汚しながら、油の海でもがいた。

 歓声をあげながら転げ回る。

 遊びは本気になってきた。

 そうやってじゃれ合っているうちに楽しくなってきたのか、彼は椅子から転げ落ちて、ガラスのセンターテーブルの上に彼女を押し倒すと、まるで猫がもつれ合うようにして彼らは馴れ合った。

「……パパ? お母さん?」

 見ると、何か見てはいけないものを見てしまったかのように、麻耶が立ち尽くしていた。

 泥のように顔を汚した二人。

 神聖なペイントを顔に施した原住民のようだ。混ざり合った絵の具で濁った暗色。

 日生は絡み合った彼らの足を解くと、絵の具で汚れた手のまま、麻耶に駆け寄った。

「麻耶!」

 彼女を安心させようと胸元に抱きしめた。彼は軽い運動をしたあとのように息を荒げ、肩を上下している。麻耶は感情の抜けた目でしばらくなすがままに彼の速い心臓の音を聞いていたが、突如彼の身体を突き飛ばした。

「嫌い嫌い嫌い!」

 そうして、わんわんと泣いた。