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雪花伽

たぬきと添い寝したい。

まやかしの月 下3-8

7-8.Museum:記憶の神殿

 「なんで美術館?」

 退院してから、俺は露綺と律人を誘って美術館に来ていた。

「いや、なんとなく。ほら、美術館でデートって、なんか頭良さそうに見えるじゃん」

「その発言が既に頭悪いよ……」

 律人が苦笑する。

 傘を持ったまま建物に入ろうとした彼を止める。

「傘は置いていけよ」

「なんで?」

「友達が言っていたんだ。傘やペンは男の持ち物なんだってさ」

 友人――由一の言葉を思い出す。何年か前に彼が言っていた。

 『美術館――museum――。その語源はギリシャ語のムセイオン――芸術を司る九柱の美神たちを設けた、記憶の女神・ムネモシュネを祀った神殿の名に由来する。美術館というのは女性の居室なんだから、男性的なものは置いていけ』

 ……そういうことをさらっと言えるから、あいつはモテるのだ。

 俺の隣で露綺が苦虫を噛み潰したような顔をした。

「あの愚図野郎……」

「えー、いいじゃねえか」

 ところで、露綺は何故か由一を毛嫌いしているようだった。

 彼の何が気に入らないのか俺には分からないが。というのも、由一は大抵の人間には好かれているのに、何故か露綺だけが彼を嫌っているのだ。

 彼と初めて会ったとき、世の中にこんな完璧な人間がいたのか、と思った。というか、同じ人間とは思えなかった。彼には天性のカリスマ性のようなものがあった。

 ところで、実はあいつの家は意外と貧しい。牧師という職業は年収がさほど高いわけでもないのだ。だから家計を助けるために彼らはアルバイトをしている。由一は結婚式場でウェイターを、麻耶は画塾で子供たちに絵を教えたり、個人的に美大生の絵のモデルになったりしているらしい。

 けれど、そうでないふうに振る舞うのが彼らは得意だった。あの成績優秀な双子に、バイトなんて言葉、とても結びつかない。

 ジャン・コクトーのこのような名言がある。

 『富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう』

 貧乏人はたとえ金持ちになったとしても、根っこが貧乏人のままだから、どうやっても貧しい金の使い方しかできないし、逆に貧乏でも、生まれながらに優雅な人間というものも存在する。

 彼らにはそういうところがある。よく高貴な人間のことを『青い血』というが、まさに由一と麻耶には青い血が流れている。あいつは生まれながらの王だ。彼らはまるで森の奥に住まう貴族のようだった。

 時々、彼らは人間であるというよりも人形のように感じることがある。

 例えば、美人とは、その文化圏の平均顔であるという説がある。

 無作為に抽出した顔を掛け合わせ合成していくと、段々美人と思われるような顔になっていくのだと。あまりに美しい造形は、性別すら超えるのだ。

 由一もそんな感じである。

 そもそも、大抵の人間の顔は実は左右対称ではない。しかしながら、彼と麻耶の場合は、そういう顔のパーツがあるべきところにあって、例えば美人であるのに、すごく形のいい目とか鼻とかというわけじゃないのだ。美人というよりも端正という形容が似合う。

 美しいのに妙に存在感が希薄というか、去ったあとに印象に残らないような顔をしていた。

 上品で端整な顔立ち。絵画の世界から出てきた二人。天才画家の、一対の芸術作品のように。

 閑話休題

 そんな由一に言わせれば、傘やペン、そういうものを持ったまま美術館に入る輩は、女のベッドに武器を持って近付く野蛮人ということなのだ。美術品には敬意を表しているらしい。俺の幼馴染は、美術鑑賞が大の趣味だった。

 そんな話をすると、律人が反論した。

「傘やペンは女の人も持ってるよ」

「え、まあ、そうだけど……」

 由一がそう言っていたというだけで、俺に言われても困る。

 傘立てに傘を預けつつも、なんだか丸腰になった気分だな、と呟いたのを俺は聞き逃さなかった。お前は傘で殴る気か。

「露綺も、ナイフは置いていけよ」

 素知らぬ顔で俺の横を過ぎようとした露綺にも、声をかける。

 彼女はしれっと注意書きを指差した。

「刃物が駄目とは書いてないわ」

 写真を撮らないでください。傘は持ち込まないでください。大きな鞄はロッカーに預けてください。

「常識だろ!」

 それよりもなんで普段から刃物を持ち歩いているんだよ、こいつは。

 九柱の女神がいる神殿。

 そう言われると、ありふれた美術館が神聖な場所に思えてきて、俺たちは畏れながら、そろりそろりと展示室に踏み入れた。

「おじゃましまーす……」

 展覧会の目玉は、ポール・ゴーギャンの絵画作品だった。

 『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』

 ゴーギャンは五十歳のときに、この作品を遺書代わりに毒を呑んで自殺しようとしたが、結局死にぞこなった。

 この作品は思いつめた人間にしか描けない、それだけの凄みがある。

 我々はどこから来たのか。

 我々は何者か。

 我々はどこへ行くのか。

 こういう絵を観ているといつも思うことがある。

 ゴッホゴーギャンは、生前絵が売れずに悲惨な暮らしを送ったが、死後、有名になることで報われたのだろうか。

 現代において世界中で彼らの展覧会が開かれ、好きな芸術家として多くの人が名前を挙げている。彼らが生きていたとしたら、それは承認欲求や自己顕示欲を満たしたかもしれない。

 だが所詮、周りの人間がぎゃあぎゃあ言っているだけだ。

 彼らはもうこの世界の住人ではないから、それを観測することはできない。

 

 それから、美術館に入っているとあるカフェに立ち寄った。チェーン展開していて、大型ショッピングセンターやビジネス街にも入っているような有名な店だった。

 律人は、メニューの多彩なカタカナに目を白黒させている。

 その様子に、

「こういう店に来るのは初めてか?」

 こくこく、と首を振る律人。

「今日は俺のおごりだから、好きなのを頼めよ」

「でも、なんか悪いよ……」

 律人は遠慮している。こいつは優しいから、誰かに恩を売られるのに慣れていないのだ。しかしながら、俺が場所を指定して、俺の事情で連れてきたからには、そうする義理もちょっとある。

「俺の我侭だよ。誰かと一緒に飯を食うのが好きなんだ」

 律人はしばらく間を置いたあと、なんで? と小さく呟き、続きを促す。

「生きてる、って感じがする」

「…………」

 そこで彼らは俺が病人であることを思い出したらしかった。事情を悟った様子で、露綺に頷きかける。

「露綺さん、ここはお言葉に甘えようよ」

 我関せずというふうに、後ろで澄ましている露綺にも声をかける。

「そうそう、お前も」

「そうされる義理がない」

「おごらせろ」

「結構」

「いいからおごらせろって」

 キャラメルラテ二つ、と店員に告げる。カウンターの店員たちが、キャラメルラテ、と復唱する。

 露綺は俺の出方が分からないから、疑っている。

「あなた、はっきり言って不審よ」

 ともあれ、席を取って四人掛けのテーブルを囲んだ。

 開口一番、単刀直入に訊ねる。

「――で、お前ら付き合ってんの?」

 律人が口を開いた。

「露綺さんとは――」

「余計なこと言わないで」

 露綺に睨まれて閉口する。蛇と蛙のようだ。

 彼らの注文の様子を見るからに、こういうところに行き慣れていないのが分かる。

「こいつとは普段どんなところに遊びに行ってるんだよ」

「別に彼とはどこにも行ったことなんてないわよ」

 そこではっとする。

「大体、梓川くんとは付き合っても何もないわ!」

 露綺は不機嫌そうに腕を組む。

「そんな下らないことを喋りに来たのなら帰るわよ」

 このままだと本当に帰られそうだったので、この話題はやめにした。

 彼女をよそに、のんびりとサンドイッチを頬張っている律人を見やる。反芻する山羊のようだ。

 ところで前々から思っていたのだが、

 こいつ見かけによらず、意外と積極的だよな。

「お前って肉食系だよな」

「は、はあ……。どっちかというと僕は野菜のほうが好きだけどな」

 違う、お前の嗜好じゃない。

 まどろっこしい。行けるとこまで行っちまえ!

 今度美玲も誘って、ダブルデートしてやらなくては。

 ふと見ると、露綺は目の前の飲み物に一切手をつけていない。

 それを見つけると、そんなに俺と飲食するのが嫌なのか、と悲しくなる。

「――露綺さん、外のものは食べられないんだ。毒が入っているかもしれないから」

 彼なりの助け舟のつもりだったのだろう。彼女ははっと顔を上げた。挑発されたと感じたのかもしれない。

 乱暴に紙のカップを掴むと、冷めた中身を豪快に呷った。

「別に怖じ気付いてなんかないわ。こんなものごときに」

「別に露綺さんが臆病だとは言ってないよ……」

 露綺は恨みがましく律人を睨みつけた。

 警戒しすぎだよ、と呆れると同時に、その気持ちもなんとなく分かる自分がいた。

 和歌山カレー事件。

 俺たちが幼い頃にあった事件だ。夏祭りで振る舞われたカレーに毒物が混入され、六十数人の人々が身体の不調を訴え、死人も出た。

 そう言葉にしてしまえば容易い。けれどそれまでは、自分が口にするものは百パーセント安全だと、誰もが信じていたのだ。実際にそれを口にする瞬間までは。

 自分でない誰かが差し出したもの。何が入っているか得体の知れないものを口に入れるという行為は、平和ボケした俺たちにとっては、思っている以上に命知らずな行為なのかもしれない。

「世の中には、二種類の人間がいるんだってさ。人と会うことで元気になる人間と、人と会うと体力を磨り減らす人間。俺は人と話すと元気になるタイプの人間なんだな」

 露綺は後者だろうな、と思った。そして両者は分かり合うことはできない。

 こいつには、誰かと食事をすることの楽しみが一生分からないのだろうな、と思った。

「世の中には二種類の人間しかいない。騙す人間と、騙される人間よ」

「……中二病かよ」

 吐き捨てた。だから苦手なのだ。こういう潔癖な女は、俺には合わない。

 全ての悪が悪の組織の仕業であるのは、小学生までだ。

 よく事件の容疑者のことを、クロだのシロだの言う。けれど、物事そうハッキリパッキリと分けられるものだろうか?

 大抵のものは、白でも黒でもない。グレーゾーンにある。

 それに露綺の兄が諸悪の根源だとして、全ての事象が彼に収束するとしたら、彼の人生がいくつあっても足りないではないか。

 そもそも、心がない人間が存在しているなんてことが、次元の違う話で、露綺たちと話を合わせながらも、そこには温度差があった。育ちがいい、と言われてしまえばそれまでの話だが、俺には到底信じられない話だった。

 

 美玲が持ってきてくれたお菓子をつまみながら話をしている。

 美玲はお菓子作りが趣味だ。

 バレンタインデーなんかに、女子の手作りお菓子に与る機会がちょくちょくあるが、素直に美味しいと思えるのって実は少ない。

 クッキーとかガトーショコラとか、岩みたいに固かったり、焦げの味がしたりする。店で売っているクオリティは期待できない。ただ、食べられないほどでもない。

 美玲のもそういった類だった。

 不器用なのか、砂糖を入れすぎているときもあれば、全く味がしないこともある。しかも意外とアメリカかぶれなのか、カラフルだ。

 ところが好きな相手の手作りだと、下手な料理も可愛く思えてくるのだった。

 惚気と言え。

 閑話休題

 小学校の高学年の頃だったと思う。

 バレンタインデーの日の放課後だった。

 通学路の途中にある公園。黒いランドセルを背負った小柄な少年が、ごみ箱の前で辺りの様子を伺っている。公園には彼の他には無人だ。それを確認すると、おそるおそるランドセルの留め金を外して、その中にあるものを手を突っ込んで取ろうとする。

 幼馴染の由一だ。知り合いを見つけたので、話しかけない手はない。

「おーい!」

 少年はびくり、と背中を震わせた。悪戯を見つかった子供のようだった。

 自分を驚かせた声が俺と分かると、彼の表情は怒りに変わる。

「脅かすな馬鹿!」

 彼の手には、ラッピングされ、針金で留められた茶色の物体があった。

 それはバレンタインデーで交わされたチョコや、クッキーや、ケーキの類だった。由一は女子にかなり人気があって、義理が大部分だが、本命もいくらか混ざっているだろう。それを捨てようとしているのだ。

 かわいそうだ、と思った。その中には、勇気を出して本命を渡した内気な奴だっていただろう。彼がそれを捨てていたと知ったら、ショックを受けるに違いない。

「本命こそ、危ないんだよ」

 口調こそ大人びていたが、声音はとり繕いようのないボーイソプラノだった。

「何が入っているか分からないものを食べる気になるか」

 そう言って彼は、ランドセルの中身をごみ箱にあけた。

「自分の口に入るものくらい、責任を持つべきだ」

 警戒しすぎなんじゃないのか、と言う俺に、彼はこんな話をしてくれた。それはバレンタインデーの女子の慣習というか、習慣のようなものらしい。

「髪の毛とか、唾液とか、果ては生理の血とかを混ぜるんだって」

 想像してしまって、嫌な気分になった。女子の思考回路が理解できない。

「なんでそんなことするんだよ」

「両思いになれるおまじないなんだってさ」

 なんて非科学的な、と思った。

「だから手作りのものは捨てることにしてる」

 だからってなんで公園で。見られたらどうするんだ。家で捨てればいいじゃないか、と言おうとしたが、思い出す。こいつの家には善良な牧師サマがいるのだった。彼なら食べろと言いかねない。

 由一の言では、チョコに異物が入っているのは女子の間では常識、だそうで。

 そんなことは露程も知らなかった。差し出されたものを、何の疑いもなく口にしていた。

 本当のことを言うと、それからも度々女子の手作りお菓子に与る機会があったが、そこで拒否する空気でもなかったので、普通に口にした。みんなもそうしていた。そんなこと、メディアの向こうの話で、俺の学校には関係のないことだと。

 そういえばバレンタインデーに、市販の板チョコを溶かして、型に入れて固めただけのやつを、手作りチョコって言い張るのに違和感があったけれど、カカオ豆から一から作られてもそれはそれで引く。というか大体、カカオを育てるための土も水も太陽の光も、俺たちが作り出したものではない。

 言葉だって、俺たちは物語を書くとき、何一つ言葉を作り出してはいない。一から言葉を作ったならば、それは誰にも通じない言語だ。俺たちは人に伝える物語を書きたいから、この世に元からある言葉を使わせてもらっている。言葉を選んで、適切に並べ替えているだけ。

 これも由一から聞いた話なのだが、印象派以前は今みたいなチューブに入った絵の具はまだ発明されていなくて、画家自身が色のついた石を砕いて、自分で絵の具を作っていた。絵の具を外に持ち出せるようになって初めて、あの屋外の明るい風景画が実現したわけだ。

 ここにある印象派の絵が印刷されたパズルがある。そのパズルは、一ピースにつき一色の色が塗られていて、色の境目が気にならないくらいパズルは細かい。パズルの裏に書いてある数字の順番にピースを並べて、そのパズルを完成させると、どうなるか。

 カメラの画素を思い浮かべてほしい。その絵と全く同じものができる。それも、芸術家でなくとも、俺たちでもできる。

 つまり絵を描くということは、画家が画材屋で買ってきた出来合いの絵の具の中から、相応しい色を選択し、キャンバスの上の決められた場所に配置するという行為の繰り返しにすぎないのだ。乱暴に言えば。

 芸術とは、既製品の寄せ集め。所詮型に流して固めたチョコレートにすぎない。

 俺たちは何一つ自分で作り出してはいない。

 零から何かを創造するのならば、そんなことができるのはそれこそ神様しかいない。

 閑話休題

 女子の中にもそう思う奴はいるらしく、最近は生チョコやガトーショコラが流行りのようだ。

「瑛良さん、美味しい?」

 俺はいびつな愛情を口に運ぶ。

 そう。俺が言いたいのは、チョコを固めただけのはずなのに、どうしてこんなに美玲の作る菓子はまずいんだろうということだった。