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雪花伽

たぬきと添い寝したい。

美術史の話6:印象主義〜当時はボロクソ言われていた

近代美術史

印象主義

 日本で一番人気ともいえるのが印象主義だと思います。美術展を開けば客が入ります。

 しかしながら、当時印象派は歓迎されていたわけではありませんでした。むしろ現代ではとても考えられないほどボロクソ言われていました。

 印象派は初めてグループ展を開いた画家の一派です。画家同士の仲が良く、その人間関係にも注目です。 

 

印象派ストーリー

 サロンでマネとモネが間違えられて、意気投合しました。

 マネの元に若き芸術家たちが集い、夜な夜なカフェで熱く芸術を語り合いました。

 ↓

 サロンに頼らず、自分たちで作品を見せる場として、展覧会(名前はまだない)を開きました。

 ↓

 そこで出品されたのが、かの《印象、日の出》です。

 批評家のルイ・ルロワは、「確かに印象を描いている。だが壁のシミの方がマシだ」と述べました。

 それを揶揄して、印象派と名乗るようになりました。提案したのは陽気なルノワールだそうです。

 

 当時の印象派は新しすぎて受け入れられなかったのです。

 

芸術観

・従来

 自然対象は不変の形を持つ。(実存)

印象派

 客体(=自然)は常に変化しているし、主体(=画家)も常に変化している。

 そこで、主体と客体の間に生起する現象を描く。

 例えばモネは、同じモチーフを異なる条件で何度も描きました。(連作)

 

 つまり、

 自然は刻一刻と変化し続ける=手早く描かなければならない。

 

 ところで、サロンに出品される絵では、時間をかけて筆跡を残さず大理石の表面のように仕上げるのが常識でした。

 そんなサロンに印象派の絵を出品するのは、作品の前のラフスケッチを出品するようなもの。

 ここに、印象派がサロンで受け入れられなかった理由があります。

 

キーワード

・筆触分割

 絵の具を混ぜると、どうしても濁ってしまいます。

 印象派は色を粒として筆跡を残し、色を網膜上で混合することで、鮮やかさを保つことができます。

 

《ラ・グルヌイエール》

 モネとルノワールはライバルだったんじゃないか、という人もいますが、実は画塾時代からのマブダチ。よく肩を並べて描きました。

 

・戸外制作

 この頃、チューブ入り絵具が発明されて外で描くことができるようになりました。

 それまでは絵具は使う度ごとに調合しており、外の風景であっても、アトリエで描いていました。

 印象派以前の絵画と比べてみると、印象派の絵はキャンバスが小さいことが多いです。

 

 モネはマネに憧れました。名前が紛らわしいですが、マネのほうが一回り年上です。でも実はマネもモネに憧れていました。

 マネはアトリエで制作していましたが、モネに触発されて外で描いてみたりしています。

 

ジャポニスム

 ウィーン万博に日本が出品したことで、空前の日本ブームが起こりました。

 何故日本なのかというと、フランスではまず中国趣味(シノワズリ)が流行っていました。ところがいくら裕福とはいえ、新興ブルジョワには高価なシノワズリには手が出せなかった。そこで、より手頃な日本の工芸を買いあさるようになったのです。

 

 ジャポニスムにも深化の段階があります。

1.Japonesrie(日本趣味)

 日本的なモチーフを引用しています。この頃の作は日本で作られたものと見分けがつきません。

 

2.Japonisum

 日本に造形のレベルでの刺激を受けています。

 平塗り・非対称・切断など、浮世絵からヒントを得ています。

 ティファニーなど、日本的でありながら、西洋のものと分かります。

 

3.Japonologie(日本主義)

 ここまで来ると、日本や日本人に対しての思想的な理解が見られます。

 日本好きすぎて心まで日本人になっちゃった、みたいな感じです。ゴッホの作品がそうです。

 

おすすめの本を紹介しておきます。

・『イラストで読む 印象派の画家たち』杉全美帆子(河出書房新社

・『印象派で「近代」を読む-光のモネから、ゴッホの闇へ』中野京子NHK出版新書)

・『黒衣の女ベルト・モリゾ』ドミニク・ボナ(藤原書店)

・『印象派の人びと-ジュリー・マネの日記』ロザリンド・ドゥボランド・ロバーツ(中央公論社

・『ジヴェルニーの食卓』原田マハ集英社

 

まとめ

 1874年 第一回印象派展〜第八回印象派

 筆触分割により、実存から目に見える現象を描く

 〈仕上げ〉を放棄。

 ジャポニスムの影響

 

お疲れ様です。