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雪花伽

たぬきと添い寝したい。

近代美術史の話5:写実主義〜天使を描かせたいなら目の前に連れてこい

近代美術史

写実主義

 1855年・パリ。

 サロンが手を焼く異端児が現れました。

 

「俺は目に見えるものしか描かない。天使を描かせたいなら目の前に連れてこい」

 

 ギュスターヴ・クルーベ

 その男、危険につき。

 

 神話の登場人物ではない、無名の人の葬儀を描いた、《オルナンの埋葬》。

 娼婦を描いた、《セーヌ川のお嬢さんたち》。

 美術界には、現実にあるけど描いてはならないタブー・約束事があり、絵にならない絵というものが存在します。

 クルーベはそんな暗黙の了解をあえて破ることで、体制美術への挑発・革新を目指しました。

 

 1855年、パリ万博での作品の陳列を拒否されたクールベは、会場近くに建物を建て、史上初の個展を開催します。

 また、同年の写実主義宣言でこのように述べています。

 「天使や神や目に見えない、存在しない者は描かない。自分の時代の風俗・習慣を描きたい」

 

 《画家のアトリエ》では、クールベの思想を見ることができます。

 右から、知識人(友人)、モデル、少年、クールベ自身……そこまでは分かりますが、労働者も描かれているのです。クールベは、社会主義思想に共鳴していました。

 

クールベの主題

1.故郷・オルナンに取材した風俗・習慣、パリの風俗

 

2.手つかずの自然

 荒削りのありのままの自然を描き、理想主義的風景画を否定、近代化を批判しました。

 

3.野生動物

 家畜ではなく獣です。

 近代化・文明化と共に覆い隠されていく、生き物の根源的在り方への関心を抱きました。

 

4.エロティシズム

 人間存在の「生き物」としての在り方に関心を持ち、《世界の起源》などショッキングな作品を残しています。

 また、他にも、肖像画、静物画を手がけました。

 

エドゥアール・マネ

 マネは生粋の都会っ子です。

 現代生活を描いた画家で、都市に固有の匿名性(無名の見知らぬ他人・群衆の関係性)を描きました。マネの絵に出てくる人たち同士の関係は、素っ気ない感じがすると思います。

 

マネの生きた時代

1.産業革命

 太陽・風・水といった自然の力から、化石燃料による人工の力へとエネルギー革命が起きました。

 機械力によりこれまでよりもはるかに速く大量のものを作れるようになり、ガラスや鉄といった新素材でできた人工物が街に現れました。

 蒸気機関車・蒸気船・写真機などもこの頃に生まれました。

 

2.都市改造

 ナポレオン3世とセーヌ県知事・オスマンにより、都市の大改造が行われました。

 路地を壊し、大通りへ。

 下水道を整備し、衛生面の向上。

 ガス灯・電気灯により街が明るく、人々は夜の時間を持つことができるようになりました。

 パリの街の姿は、彼が生まれた頃からまったく生まれ変わってしまいました。

 

3.娯楽施設

 余暇が生まれ、カフェ、キャバレー、サーカス、競馬場といった娯楽施設が発達しました。

 世界初の百貨店ができ、パリは商品の流通・消費の中心地となりました。

 

4.万国博覧会

 世界中の伝統産業・美術・工芸品・工業製品がパリに結集しました。

 特に日本の事物は、マネや印象派にインスピレーションを与えました。

 

マネの挑発性

 サロンに出品されたこの2つの作品が物議を醸し、マネを一躍有名にしました。

 

草の上の昼食》1862

 パリ郊外の自然の中で、ピクニックにかこつけて娼婦と遊ぶ男たちが描かれています。

 当時、娼婦の存在はタブーであり、人々が隠しておきたい不道徳な事実でした。婦人たちが見ても見ぬ振りをしていた娼婦を、白昼の下、しかも公の場である官展で堂々と晒したのです。

 

オランピア》1863

 ティティアーノの《ウルビーノのヴィーナス》の構図を借用することで、古典を冒涜・挑発しています。

 ただし、描かれているのは女神ではなく娼婦です。

 

 マネは印象派の父」と呼ばれますが、実は印象派展には一度も出品したことがなく、あくまでサロンを舞台に闘い続けました。

 また、美術史上最も謎の多い画家でもあります。

 

おすすめの本を紹介しておきます。

・『印象派の誕生--マネとモネ』吉川節子(中公新書

 

まとめ

クールベ

 目に見える対象を理想化することなく再現。

 伝統的美術規範への挑発。

 

・マネ

 モデルニテ(現代性)にならい、変貌する同時代のパリを描く。

 古典のパロディによって挑発。

 

お疲れ様です。