雪花伽

たぬきと添い寝したい。

近代美術史の話3:アカデミスム〜本音と建前の渦巻く画壇

アカデミスム

 これまでは、前衛を見てきました。

 いわゆる画壇もあります。政府主催の公募展・官展(サロン)です。

 

Q.サロンって?

 サロンに入選することは、国家から画家としてのお墨付きをもらうことでした。また、作品を発表する機会もこれしかありませんでした。

 ルーブル宮殿「方形の間(サロン・カレ)」で開催されたので、サロンと呼ばれました。

 アカデミスムとは、このサロンの美的規範を決定していた体制美術のことです。

 

Q.同じヌードなのに何が違うのか?

 1863年の官展に出品された2枚の裸婦画を見ていきましょう。

 アカデミスムの画家・アレクサンドル・カバネルヴィーナスの誕生は、時の国王・ナポレオン3世がいたく気に入り、国家買い上げになりました。

 一方、エドゥアール・マネオランピアは娼婦の裸などけしからん、として非難されました。

 

 題材を見ていきましょう。

 

1.裸体画

 サロンでは、破廉恥だとしてヌード禁止でした。

 でも、神話や歴史の題材を借りて裸体を描くことは合法で、逆説的にサロンは裸体画で溢れていました。

 高尚な画題を口実に、男女問わずエロティックな絵画が鑑賞されました。

 

2.歴史画

 神話・歴史・聖書の物語をメロドラマ化し、大衆受けを狙いました。

 ギリシャ神話を題材とした《アレオパゴスの法廷のフリュネ》という作品は、フリュネという娼婦が裁判にかけられ、裁判官たちの前で裸を見せたところ、あまりの美しさに無罪になった(?!)というとんでも物語を絵にしたものです。

 

3.ブルジョワ肖像画

 この頃、写真技術は既に発明されていました。

 しかしながら、それでも肖像画は人気がありました。現実の人物は背が低くても、高くできる。ブサイクでもイケメンにできる、と絵画ならではの補正が利くからですね。

 

Q.どうしてこうなった?

 以前は、絵画の需要層は教養のある上流階級でした。

 当然、聖書やギリシャ神話といった古典的物語の知識に精通し、絵画とは頭を使って読むものでした。

 

 フランス革命以後、王侯貴族が追放され、産業革命でのし上がった裕福なブルジョワが台頭し、絵画の需要層は教養のないブルジョワとなりました。そのため、教養がなくても楽しめる肉体美、エロチシズム、人情劇が主題となっていったのです。

 

 ゴッホ兄弟を描いた穂積さんの漫画さよならソルシエでは、アカデミスムの画家の一人・ジャン=レオン・ジェロームが悪役として描かれています。

 実際、アカデミスムはサロンから印象派を追放してきました。前衛vsアカデミスムの構図が浮かび上がってきます。

 なんだか悪者みたいに描かれるアカデミスムですが、現在では19世紀全体の美術を俯瞰して、このような見方をしています。

 

よく見たらシュールなアカデミスム

 超絶技巧でシュールな事物が描かれています。シュルレアリスムダリに似たようなところを感じませんか?

 アカデミスムはのちのシュルレアリスムに再評価されました。

 また、1960s後半〜70s初めのアメリカで起こったスーパーレアリスム運動にも影響を与えています。

 

 ちなみに、実際のアカデミスムは漫画で描かれているほど頭が固いわけではなかったようです。

 ラファエル・コランを初めとする、外光派と呼ばれる一派は、これまでの脂がかった暗い絵から、印象派に習って明るい色調で描くようになりました。

 ギュスターヴ・モローやピュヴィス・ド・シャヴァンヌといったのちの前衛を代表する画家たちも、実は昔、アカデミスムに属していたという過去があります。

 

アカデミスムと日本

 アカデミスムは日本とも関連が深いです。

 1870年の普仏戦争に敗北したフランスは、ナポレオン統治による軍事・法律の国→美術の国へと日本人の中でのイメージが変わりました。

 黒田清輝ら多くの日本人画家たちがアカデミスムの画家に学び、サロンに出品・入選を果たしました。

 

 政府の規範美術であったアカデミスムも終焉を迎えます。

 その要因としては、

  1.民営化された

  2.サロン以外の発表の場(グループ展・画廊)が登場

 画商という仕事が登場してきたのも、実は近代頃からです。

 そういうわけで、政府の規範としてのサロンは現在、残っていません。

 

まとめ

 17c(アングル以降)〜

 政府のお抱え美術として、サロンの美的規範を決定。

 耽美主義。新興ブルジョワ向けの、教養がなくても楽しめる裸体画・歴史画・肖像画

 日本人も多くアカデミスムの画家に学ぶ。

 

お疲れ様です。