雪花伽

たぬきと添い寝したい。

死なない命

2017.8.12

コレクション展2 死なない命

日々の生活-気づきのしるし Everyday Life - Signs of Awareness

ヨーガンレール 文明の終わり Jurgen Lehl The End of Civilization

金沢21世紀美術館

 

・死なない命

 遺伝子工学人工知能の発展によって、生命=死ぬとあながちには言えないご時世、

 死なない生命についてのコレクションを展示しています。

 

《わたしは人類》やくしまるえつこ

 微生物の遺伝子を楽譜に見たて、ご自身が作曲した音楽を遺伝子組み換えによって微生物に持たせています。

 スクリーンの映像と女の子が歌う歌は、書き込まれている音楽なのでしょう。

 

 人類が滅亡した後、ボイジャーのゴールデンレコードのように、

 何らかの知的生命体がそれを解析してくれることを期待しています。

 

 目の前ではその微生物が培養されていて、音楽に合わせて緑色の液体が揺れています。

 音楽を記録するために遺伝子を弄られて増殖させられてって、

 微生物の命の尊厳みたいなのを考えさせられます。

 こういう倫理を問う問題ってわくわくする。

 

《セイレーン》イ・ブル

 セイレーンとは上半身が人間の女性、下半身が鳥で、その歌声で船乗りを海に引きずり込む、ギリシャ神話の死を誘う怪物のこと。

 翼のある白い彫刻が上空に吊るされています。

 顔はなく、蛾のようであるかと思えば、機械のような部品もあり、鉤爪もあり。

 グロテスクなようで優雅でもある。

 美しく不気味な怪物の姿を現代的に表現した作品。

 

・日々の生活-気づきのしるし

 普通に北欧のデザイン展をやると思いきや、やはりここは現代アートの美術館でした。

 しょっぱな、無印良品の商品のラベルを50倍に拡大したものが床一面に展示されています。(何故拡大した。)

 

 もちろん家具や食器も展示してあって、『デンマークデザイン、いい……』ってなります。

 

 いつものマイケル・リンの《市民ギャラリー》が改装中で、代わりに北欧と日本の名作椅子がずらりと並んでいました。

 自由に座ることができます。

 

・ヨーガンレール 文明の終わり

 ヨーガン・レールさんは沖縄で制作活動をされていましたが、

 海岸に打ち上げられるごみを深刻に考えていました。

 ごみ問題を訴えるために制作したのがごみを作って造られた照明。

 美術館の第13展示室いっぱいに展示されたカラフルな照明に思わず、歓声をあげてしまいます。

 正直ごみからこんな美しい作品が生まれるとは。

 

・おまけ

 『フルオブビーンズ』でハントンライスを食べました。

 ハントンライスとは、金沢名物の洋食(と英語で書いてあった)で、

 オムライスの上にタルタルフライが乗っています。

 

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 サラダがついてきて健康的。

 

 それからひがし茶屋の『茶ゆ』でしょうゆ味のアイスを食べました。

 みたらし団子みたいな感じで程よい塩味でおいしかったです。

 

お疲れさまです。

絵の解説(まやつき下)

まやつきは完結いたしましたが、もうしばらくお付き合いください。

 

意図したわけではないですが、上は近代以前の作品が多めなのに対し、

下は現代芸術が多めになっています。 

まだ著作権が切れていないので写真はありませんが、ご了承ください。

 

ネタバレ注意です。

 

5.

《無題》

ズジスワフ・ベクシンスキー

 ベクシンスキーはその退廃的・残酷な作風から終焉の画家と呼ばれていますが、それがかえって一部の人を魅了してやみません

 その絵の不気味なあまり、三回見ると死ぬという都市伝説もあるようです。

 

《ロレートの聖母》

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ

 礼拝堂の装飾画として描かれました。

 カラヴァッジョは目に見えるものしか描かない画家で、慣例として神々しく描かれていた聖母子を、聖性を剥奪し写実的に描きましたが、

 当時の人々には不評で受け取りを拒否されました。

 

6.

《オフィーリア》

ジョン・エヴァレット・ミレイ

 『ハムレット』のヒロイン・オフィーリアの架空の死の場面を描いています。

 モデルはエリザベスという女性で、浴槽にお湯を張ってポーズを取りましたが、お湯が冷めて肺炎になってしまい、慰謝料を請求されたというエピソードがあります。

 

聖プラクセディス

フェリーチェ・フィチェレッリ/ヨハネス・フェルメール

 サインが2つある絵です。

 イタリアの無名画家・フィチェレッリの作と考えられていましたが、最近、フェルメールの作品ではないかと言われています。

 上野の国立西洋美術館に収蔵されています。

 紅色が印象的な絵で、基本的に国立西洋美術館の常設展は撮影可なんですが、この絵だけ撮影禁止になっていました。

 

☆おまけ

《ピス・クライスト》

アンドレ・セラーノ

 何も言うまい。

 セラーノは挑発的な作風で、キリストを冒涜するような作品を制作しますが、本人は実は敬虔なクリスチャンです。

 

《折れた背骨》

フリーダ・カーロ

 露出した背骨にひびが入り、肌には釘が打たれているという痛々しい自画像。 

 フリーダは若い頃に交通事故に遭い、その後遺症に障害悩まされ続けました。

 

《空間概念》

ルーチョ・フォンタナ

 キャンバスにナイフで切れ目を入れた作品。平面の絵画に立体性を持ち込もうとしました。

 

7.

《我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか》

ポール・ゴーギャン

 50代での自殺未遂のとき、遺書として描いた作品です。

 輪郭線を太く描き、中を一色で塗りつぶしたステンドグラスのような技法はクロワゾニズムと呼ばれています。

 

8.

《存在せよⅠ》

バーネット・ニューマン

 青で塗られた一面に、zipと呼ばれる塗り残しの白い線が特徴的です。

 アメリカの抽象主義は絵画の定義とは何かを追い求め、絵画にしかない要素を切り詰めていきました。

 

☆おまけ

インターナショナル・クライン・ブルー

 イヴ・クラインが発明した青い顔料で、現在も購入できます。

 この絵の具を裸の女性に塗りたくって壁に人型をとる《人体測定》や、ICBで塗られたミロのヴィーナス像《青のヴィーナス》なども有名です。

 

9.

《大工の聖ヨセフ》

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

 キリストの養父・ヨセフの手元を蝋燭で照らす幼いキリストを描いています。

 キリストは30代で伝道生活に入るまで、父と同じ大工仕事をしていました。

 二人には血の繋がりはありませんが、目線のやりとりから精神的な絆を感じることができます。

 

☆おまけ

ヴィーナスの誕生

アレクサンドル・カバネル

 カバネルはアカデミスムの画家で、時期的には丁度マネオランピアが描かれた時代です。

 印象派が前衛だとすると、アカデミスムは伝統ある画壇といった感じでしょうか。

 当時の絵画は筆跡を残さず大理石の表面のように仕上げるのが慣習でした。

 

10.

《燃え落ちる蝶》

亀倉雄策

 亀倉雄策は、昭和期を代表する日本のグラフィックデザイナーの一人です。1964年の東京オリンピックのポスターも彼の仕事。

 広島の反核兵器ポスター『ヒロシマ・アピールズ』のうちの一枚。恐ろしいものを美しいもので表現する発想は脱帽ものです。

 

《ベラスケスの〈インノケンティウスX世像〉による習作》

フランシス・ベーコン

 なんだかまどろっこしいタイトルですが、先にベラスケスの《インノケンティウスX世像》という作品があります。

 インノケンティウスX世はカトリック教皇で、普通教皇肖像画というものは神聖な感じに描かれるものなのですが、

 バロック期の画家・ベラスケスは彼の透けて見える野心さえキャンバスに封じ込めてしまい、俗っぽい仕上がりになってしまいました。 

 現代芸術家・ベーコンはそれとはまた別の『叫ぶ』という行為によって聖を俗にいやしめています。

 

 

お疲れさまです。

まやかしの月 あとがき

 あとがき、って一体何なんでしょうね。

 よく考えると映画や漫画なんかはあとがきがないわけで、作品が全て。

 「そこに全てを書いてきた。探せ!」みたいな感じで、それがある文学は特異ですよね。

 ちなみにあとがきを読むのは好きです。先に読む派です。

 

 

 本編で使いたかったのですが、使えなかったネタをここで一つ。

 

『元々宗教と芸術は対になる概念だった。教会が宗教的神殿だとすれば、美術館は文化的神殿だ。けれど、宗教的な神殿が影響力を失いつつある現代、文化的神殿が相対的に比重を増している。実質、心の平穏を求めて美術館を訪れる人は少なくないでしょ』

 

 ――雫綺の台詞ですが、宗教と芸術との対比は描きたかったテーマの一つです。

 現実でもテムズ川沿いの古い発電所をリノベーションしたテート・モダンというイギリスの有名な近現代美術館があるのですが、

 その川を挟んだ対岸にはセント・ポール教会という神殿があるのです。

 

『一方で、芸術と宗教とは、対立する概念であると同時に、とても類似する概念でもある』

 

 ――これは私事になりますが、私の誕生日は少々特殊な日付でありまして、キャラクターと誕生日がよく被ります。

 で、誕生日には友人らが私を差し置いて彼らを祝うので、複雑な思いをしております。

 でも決して少なくない数の人々が架空の人間の誕生日を祝う。これってよく考えたらすごく面白い現象ではないでしょうか。

 

 

 『まやかしの月』の原型となった話は、ある一枚のイメージから始まりました。

 ロキと律人(と思われる少年少女)が閉鎖病棟の屋上から外を見下ろしている画です。

 よく考えればそこは私の通っていた中学校の非常階段。コンクリート造の三階の美術室でした。

 夢で見たのかもしれませんが、その光景は鮮烈に焼きつき、現実に溢れ出しました。

 

 この小説は一種の夢日記なのかもしれません。

 作中にも夢日記の下りが出てきますが、夢の内容を書き留めると気が狂うと言われています。この物話が夢から始まったというのは奇妙です。

 ともあれ、「登場人物がみんなおかしい」というコンセプトで書いたこの物語は始まりました。

 私はこうして小説を書き、彼らとはかれこれ十年間以上付き合い続けています。

 

 中学時代からの友人、村崎さまにスペシャルサンクスを。

 あのシーンはロキのあの絵のために書いたといっても過言ではありません。

 

 また、今これを読んでいる読者の皆さま、私の小説を手に取ってくださりありがとうございました。

 

セツカ

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